消灯時間です

消灯時間です

今日のアドリブ 気ままに書きます

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

貴乃花親方のネクタイ

最近、目からウロコだったのは、貴乃花親方のネクタイである。

年の瀬も押し迫ったある日のテレビに映し出された貴乃花親方は、グレーのスーツに薄いブルーのシャツ、紺色のネクタイという出で立ちで、「あら、今日のコーディネートはなかなかステキじゃん」と思って眺めてたのだが、よく見ると、どういうわけだかネクタイがぐにゃりと曲がって浮いている。たしか、理事会に出かけようとしているところの親方の様子を撮った映像だったと思う。中に着こんでいるもののせいで、ネクタイがずり上がってしまったのかしらんという感じだったので、そのうち気づいて理事会に臨む前までには直すんだろうぐらいに思ってたのだが、理事会の会場で椅子に座り、厳しい顔つきで会議の開催を待つ親方のネクタイは、やっぱりぐにゃりと浮いたままだった。その日の理事会は、今回の騒動に関する貴乃花親方の処分が話し合われる会議だとかいうことだったので、然しものポーカーフェイスの貴乃花親方もやはり心中穏やかではなく、ネクタイまで気がまわらなかったのかしらとハラハラしながらニュースを見てたのだが、とんだ勘違いだった。あの親方のネクタイは乱れてるのではなく、ネクタイを浮かして立体的に見せるという、れっきとしたおしゃれなのらしい。しかも、上級者向けのおしゃれテクなんだそうだ。そう言われてみて改めて確認してみると、別な日の理事会のときも、空港でマスコミの攻勢をガン無視しながら車待ちしているときも、たしかに、貴乃花親方のネクタイは、いつもくねっと曲がったり、ちょっと浮いたりしている。知らなかった。まさか相撲界のてんやわんやの話題から、ファッションの豆知識を学ぶことになろうとは。正直、何やら本筋とはズレた方向に過熱する一方の報道にいいかげんうんざりしていたところだったが、まあ何でも選り好みせず、見たり聞いたりしておけば良いこともあるものだ。

しかしそうはいっても、貴乃花親方のネクタイ、どうひいき目に見ても、おしゃれというよりは、ぶきっちょに曲がっているようにしか見えない。それはもうまるで、今回の相撲界大騒動における、彼のふるまいをそのまま具現しているかのようだ。私は貴乃花親方と同世代である。現役時代の彼は、それはもう、我々世代にとってみれば誇りともいうべき、文句なしのスーパーヒーローであった。強さと品格と華を兼ね備えた、あれほど素晴らしい横綱もそうは現れまい。記録更新にばかり躍起になっているどこぞの横綱とは、悪いが、品も格も全然違うのである。しかし、土俵で見せる輝かしいまでの雄々しい姿とは裏腹に、貴乃花は、土俵の外ではたいがいの場合においてどうしようもなくぶきっちょであった。特に、宮沢りえちゃんとのすったもんだの果てに見せた「これぞぶきっちょの極み」ともいうべき言動は、今でも強烈に記憶に残る。「そこまで自分ひとり悪者にならんでも」と見ていて悲しくなったものだ。しかしその不器用さこそが貴乃花の魅力だったのであり、年を重ねて少しは丸くなるのかと思えば、ますます拍車がかかって、単なるぶきっちょを通り越し、もはや不気味の域に達している。こうなったらもうこの異様なまでのぶきっちょさこそを、最大の武器にしない手はないような思いさえしてくるのである。

今、貴乃花親方が戦っているものは、とてつもなく手強いものであるようだ。誰もが腰が引けて触れたがらないところに、孤高の戦士のごとく、果敢に立ち向かおうとしているのが伝わってくる。あえなく跳ね返されるのかもしれない。でも、風穴を開けられるのはやっぱり貴乃花しかいないような気もするのである。その姿はまさに、土俵の上で並み居る強敵を相手につねに真っ向勝負で挑み、ボロボロになるまで戦った現役時代の雄姿を思い起こさせる。「もうちょっとうまく立ち回れないもんかね」とため息をつきながらも、イケてるのかそうでないのかよくわからないファッションがどうにもこうにも気になっても、その愚直なまでの真っすぐさを、やっぱりなんだか応援したくなってしまうのだ。

さて、いよいよ初場所の幕明けだ。