消灯時間です

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今日のアドリブ 気ままに書きます

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「完訳 千一夜物語(二)」岩波文庫

第二巻。第24夜の中途から第44夜まで。

「せむしの男および仕立て屋とキリスト教徒の仲買人と御用係とユダヤ人の医者との物語ーつづいて起こったことどもーならびに彼らがおのおの順番に話した出来事」という、おそろしく長いタイトルの話が巻の半分を占める。ある男の変死体をめぐってはちゃめちゃなストーリーが展開するお話である。物語は次々語り手が移行していく複雑な入れ子構造になっていて、正直読むのが面倒だったが、今の語り手が誰なのかさえしっかり押さえておけば、一つ一つのエピソード自体はそう難しくなく、いたって単純で明快な話が多い印象だ。たいがいどの話にも、身体に何らかのハンデ(片手を失っていたり足が不自由だったり)を負った人物が出てきて、なにゆえ自分はこんな体になってしまったのかその身の上を語るというのが一種お決まりのパターンになっている。最終的に救いのない話はないけれど、そこに至るまでには、現代の社会的風潮とは相容れないような数々の過激かつ露骨な表現のなかを通り抜けていくことになる。それは時折ふと我にかえって、いまどきこんな本読んでてはたしてよいものだろうかと思うほどだが、そのへんはもう、あくまではるか昔に遠い異国で書かれたお話よと割り切るしかないようだ。

それよりなにより、私はこの物語の中に出てくる食べ物がいちいち気になるのだが、今回も飯テロばりのごちそうシーンが頻繁に登場する。なかでもロズバジャという料理が気になった。本の文脈からすると、どうやら米とニラとスパイスを使って作る絶品の料理らしいのだが、その正体はよくわからない。物語の中には、このロズバジャを食べた後、うっかり手を洗い忘れてしまったばかりに散々な目に遭う男の話がでてくる。男はロズバジャのニオイがしみついた手で妻に触ろうとし、それに怒った妻からとんでもない仕置きを食らうのである。以降、男は恐怖のあまり、大好物だったはずのロズバジャに容易に手をつけようとはしなくなるのだが、いつの世もどこの国でも、クセのあるくさい食べ物というのは、怪しげな魅力でもって人々をとりこにするもののようだ。食後のアフターケアの重要さもこれまた古今東西、万国共通。それにしても、ここに登場する人物たちは食べたいものをたらふく食べ、お酒も浴びるように飲みたいだけ飲んでいる。恋愛的なことに関しても限りなく奔放だ。イスラム教といえばお酒はご法度とか、基本男女は別々に行動しなければならないとか、どうしても厳しいイメージがあるのだが、この物語の異様なまでのオープンさはいったいどこから来るものなんでしょう・・・?そもそもイスラム教といえどもそんな事細かな決まりごとが存在しない時代があったのか、それとも厳しい戒律に対する反動からこのような話が生まれたのか、はたまた、あえて享楽的な世界を描くことで反面教師的に何かを教訓めいたことを伝えようとしているのか・・・。私の中でイスラムの謎が深まるばかりである。

さて、ようやく2巻を読み終えたけれども、1001夜ー44夜で、あと957夜もある(汗
なんだか気が遠くなってきた。
が、すでに第三巻を手元に取り寄せてある。
とりあえず読めるところまで読んでみよう。