消灯時間です

消灯時間です

今日のアドリブ 気ままに書きます

「鬼龍院花子の生涯」宮尾登美子

前回の読書から、だいぶ時間が経ってしまった。

さて、新年一発目に選んでみた本は、宮尾登美子の小説「鬼龍院花子の生涯」である。
夏目雅子主演で有名になった映画の方は見ていて、原作を読むのはこれが初めてだったが、映画の方のストーリーはだいぶ脚色が施されていて、やはり映画向きに簡潔かつ美化された仕上がりになっていたのだということがわかり、個人的にはわりと目からウロコだった。

土佐の侠客・鬼龍院政五郎(通称:鬼政)とその一族の盛衰を描いたこの物語は、12歳でこの極道一家のもとへ養子に出された、松恵という女性が主人公兼語り手となって進んでいく。映画の中で夏目雅子が演じていた人物である。一方で、表題にその名を冠し、当然主役だろうとばかり思っていた鬼龍院花子の役には名も知らぬ女優が充てられ、セリフも出番もほどんとないかなりの脇役だったのはなかなかの衝撃だったが、映画ほどではないものの、原作でもやはり花子は脇役である。しかし、物語が進んでいくうちに、この地味で、一見目立たない「花子」という存在こそが、この物語になくてはならない象徴的役割を担っていることが見えてくる。

鬼龍院花子は鬼政の実子。松恵が鬼龍院の家に養子に入ってまもなく、鬼政と若い妾の間に生まれる。50(歳)を手前に思いがけなく授かった娘を、父親である鬼政はさんざっぱら甘やかし、母親は母親で、基本的な作法の一つすら教え込めず、結果、花子は、母親以上に生活力も自発力もまるでない、自堕落な女性に育ってしまう。それは例えば、着汚した衣服や下着は「洗う」ということも知らないほどの有様で、今風にいえば、花子の人となりは「汚部屋に住まう汚ギャル」のまさにそれだ。

花子は、鬼政が最も羽振りの良かった頃に生まれている。しかし、花子の誕生に前後して、鬼政を取り巻く環境は、家の内外を問わず、なんとなく潮目が変わったかのように様々な変化が生じるようになり、以降、鬼龍院の家は、ゆっくりとだが衰退の方向に舵をとってゆく。跡継ぎの誕生どころか、鬼政一家の終わりの始まりである。鬼政全盛期の「蝶よ花よ」の少女時代がウソのように、鬼政亡き後の花子の半生は悲惨を極める。中年期にしてようやく鬼政一族の呪縛を解かれ、静かな暮らしを手にいれた松恵のもとに、遠くに嫁いでいるはずの花子が、子連れでひょっこり出戻ってくるくだりなどはちょっとしたホラーである。その花子の哀れでみじめな生き方は、もはや自業自得というより、「鬼政の娘」としてこの世に生を受けてしまったがために、否応なしに背負わされた、業ともいうべき人生であったかのように見える。花子の一生は、鬼政一家の光と影そのもの、ひいてはやくざ社会の表と裏をそのまま描き出しているかのようだ。

宮尾登美子さんの小説ははじめて読んだが、講談を聴いているような、リズム感のある美麗な文体が印象的だ。加えて、ボキャブラリーの多さがものすごい。「見過ぎ世過ぎ」とか、初めて知った。

結局、今月読んだ本は今のところまだこの一冊だけで、今年はかなりのスロースペース。無心に本を読める時間を見つけるのは、なかなか難しいものだ。

(#4「鬼龍院花子の生涯」(宮尾登美子)finish reading: 2018/1/21)