消灯時間です

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今日のアドリブ 気ままに書きます

「美人物語」片岡義男

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文字通り、美人な女性ばかしが登場する物語(短編集)である。

この本に限らず、片岡義男の小説に出てくる女性は、基本的にみなパーフェクト級の美人である。彼女たちは容姿端麗なだけにとどまらず、一様に何かカタカナ風の職業を持った、いわゆるキャリアウーマン風の自立したカッコいい女性であり、やたら品の良い日本語を使いこなし、知的でウィットに富んだ会話を好み、お酒に強く、おまけにセクシーで恋愛にも奔放である。「美人」という感覚はとかく主観的なものだが、私の中では、郷ひろみの「素敵にシンデレラ・コンプレックス」の歌詞に歌われる女性が、まんまそのイメージという風に感じている。それこそ、”もうとびきりのいい女”なんである。対する男性陣も、人物描写から推測するに、若いのに時間的にも経済的にも余裕のある、ナゾの細マッチョイケメン風の総じていい男ばかりで、こんな男女が、およそ現実ではありえない都会のおとぎ話のような恋愛寸劇を繰り広げる物語が多いものだから、「こんな人たちはいねえよ」と正直うんざりすることも一度や二度ではなく、読んでいる自分が恥ずかしくなってくることすらあるのだが、なんだろう。ときにその毒っ気に自らあてられに行きたくなるというか、思い出した頃にふと読みたくなり、だけどひところ本屋の書棚を席巻していた赤い背ラベルの旧作群は、今や軒並み絶版でなかなか手に入らないものだから、古本屋で手頃な値段で並んでいるのを見つけたりするとついうれしくなって、まとめてごっそりオトナ買いしたりしては、また読み返してしまったりするのである。

片岡義男の作品にはいくつか傾向があって、今回読んだ「美人物語」のような、都市部を舞台に美男美女のとりとめもない人間模様を描く、こじゃれたアーバンポップ風もの、打って変わって「夏・海・空」といったイメージの、ナチュラルでクールな空気感が漂うサーフィンものやオートバイもの、そして、作者自身のルーツであるハワイを舞台に様々な物語が展開する、俗に言う「ハワイもの」と、まだまだ細かに分類すればキリがないが、ざっくり言えばだいたいこんな風に分かれている。私はもともと、サーフィンものやハワイものから入ったので、実はこの都会派恋愛エピソードみたいなのが、どれも似通った話に思えてどうにも退屈してしまい、なかなか読み進まないことも多いのだが、そんな私でもこの「美人物語」は予想外に楽しめた。個人的には、致命的に方向オンチな美人が登場する「私のような女」という物語と、片岡作品にしてはめずらしく身持ちの固い女性が登場すると思ったら、最後にプチどんでん返しが待っている「よりかかってドライ・ジン」という話が面白いと思った。

さて次は何を読もうかな。

(#7「美人物語」(片岡義男)finish reading: 2018/2/15)

ほぼ東海道を歩く旅①【日本橋~品川】

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夫が「東海道を歩きたい」と言い出した。
やぶからぼうに何を言いだすかと思えば、どうやら本気らしい。
しかも私、道連れにされるらしい・・・汗。
そうはいっても、通しで歩くのは日々のあれこれで現実的に難しいし、関東圏に住む私たちにとって、京都まで歩くというのもさすがに無理そうなので、長期スパンで都合の良い日にルートを小分けにして実施。無理ない範囲で行けるところまで行ってみるということになった。
しかしさすがに自分が箱根の山を歩いて越えている姿は想像できないので、
「小田原ぐらいまででいいんじゃない?」と言ってみたら
「だめだ!それじゃ”俺の五十三次”にはなんねえ」と、べらんめえ口調で気合をみなぎらせる夫。
どうやら、せめて沼津あたりまでは行ってみたいという腹積もりらしい。
沼津・・・。滝汗・・・。
まあ、どうなるかわかりませんが、とりあえず、お伴させていただきますですわ・・・。
というわけで、ちっちゃいことにはこだわらない、私たちのかなりゆるゆるな「東海道徒歩の旅」は、はじまった。

旅人:俺様(夫)
同行&記録係:私

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うららかな冬晴れの日。陽射しは強いが、風が少し冷たい。
朝のどたばたで30分のロスを発生させるも、午前10時30分、無事、日本橋の「道路元票」前を出発。一路、品川を目指す。

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思えば、長く東京の近くに住みながら、日本橋をじっくり歩いてみることなどなかった気がする。景観破壊の元凶として、このところ撤去の気運が高まっている首都高も改めてこうして間近で見てみると、たしかに・・・だいぶ老朽化が目立つ。これだといっそスッキリさせた方が、橋の上の麒麟さんたちも喜びそうね。しかし、いざ移設となると費用と時間がどれくらいかかるものなのか・・・。私が生きてるうちに空を取り戻した日本橋が見れるかしら・・・などど、東京の未来に思いをはせながら

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歩く

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それにしても、とてもこれから五十三次しようとしている人とは思えない、本日の俺様のウォーキングをナメた格好。「ひょっとしたら、川崎ぐらいまで行けるんじゃねーか?」と軽口も飛び出す。軽快な足取りですが、おとーさん、革靴ですよ。無理は禁物です。

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銀座四丁目の交差点では、うわさのマリカー軍団に遭遇。しかしこれほど寛大で平和ボケな国も他にあるだろうか・・・。誇らしいことなのかもしれないが。
いろいろな顔を見せる東京。都会歩きは飽きない。



日本橋から、銀座・新橋を通り、途中、左手の方に潮風の気配を感じながら、浜松町、三田方面へと進んでいく。
東海道といえば、国道1号線のイメージだったが、実際には、主に国道15号線を突き進むかたちになるようだ。ほぼ直線で道に迷うこともなく、快適な歩き旅である。

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そうこうしているうちに、品川到着。午後12時20分であった。
ここは「マクセル アクアパーク品川
ちらりと中をのぞいてみたが、ずいぶんアバンギャルドな雰囲気の水族館である。
入りたい気持ちはやまやまだが、今回はこちらはスルーし、

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こっち行く。
品川プリンスホテル内にあるレストラン「ハプナ
本日の俺様のウォーキングらしからぬファッションは、実はこのためであった。

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実に年間80万人が訪れるという、巨大ビュッフェレストラン
老若男女が入り乱れ、席はほぼ満席状態。ウィークデーもどこ吹く風といったにぎわいである。
中には和洋中、スイーツまで豊富なメニューがずらりと並び、皆が思い思いの食事を楽しんでいる。サラダに夢中なおしゃれ女子、お肉と炭水化物のみに照準を合わせるぽっちゃり男子、「食うより撮る」のインスタ二人娘、お皿がケーキフェスタ状態のスイーツ貴婦人・・・

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そして我が家のカニ魔人。
このあとテーブルの有様が大変なことになるので、触りの画像のみでご勘弁いただくが、このあと俺様は、カニになってしまうんじゃないかと心配になるぐらいさんざカニを食べ続けたあげく、テーブルにうず高く積まれたカニ殻を前にひとこと。

「食べすぎた・・・。家に帰って、サウナ行って、はよ寝たい」

朝の川﨑発言は撤回するとのこと。
魔法はきれたようだ・・・。

かくして、日本橋から品川までの徒歩旅はとりあえず無事終了した。

次回は、品川~鶴見間に挑戦するとのこと。今度は本格的なロングウォーキングになりそうなので、少し緊張する。
俺様の都合とお空のご機嫌をみて、実施予定である。

【今回の旅のメモ】
●ルート:日本橋(東京)~品川(東京)
●実施日:2018年2月中旬(天気:快晴 気温9℃)
●歩行距離:約8キロ
●所用時間:約2時間(小休憩含む)
●HP消耗度:★☆☆☆☆(へのかっぱ級)※俺様の食べ疲れによる消耗分は含まない
●使ったお金:5,500円/人ぐらい(ほぼ「ハプナ」のランチ代)
●感じたこと:
 終始、はなやかな街の風景が続き、疲れを感じさせません。
 都会好きの方には、最適なコースといえましょう。
 ウォーキングというより、ちょっと距離が長めのお散歩を楽しんでいる印象。
 履きなれた靴さえあれば気軽に挑める、初心者の方にもおすすめの徒歩行程です。
●きょうの教訓:「食べすぎは禁物なり」

「犬神家の一族」横溝正史

横溝正史金田一耕助シリーズより一冊。

映画版(市川崑監督の1976年版)は好きで何度か見ているのだけど、原作を読むのはこれが初めて。金田一耕助は東北生まれで、スキーが得意。かの有名な映画のワンシーン、湖面にぶっ刺さる、衝撃的な犬神スケキヨの逆さV字開脚遺体は、ビジュアル的に奇をてらったのかなと思っていたら、ちゃんと意味があってあんなことになってるのだった。でもって、佐清(スケキヨ)という、ずいぶんけったいな名前も、きっちり計算された上でネーミングされているらしいこともわかった。さらに、登場人物の一人である盲目の琴のお師匠さまは、映画では岸田今日子さまが演じていて、あまり出番のないワンポイントリリーフ的な存在だったけれど、原作の方では、実はもっと重要な立ち位置の人物だったので驚いた・・・とか、いろいろ新しい発見があって面白かった 。

原作を読んだら、ひさびさに映画が見たくなった。ラッキーなことに、現在、Amazonプライムの会員特典で見放題になっていたのでさっそく鑑賞。できればこのまま置いといてほしい!

何度もドラマや映画になっている作品だが、やっぱりこのときのキャスティングが大好きだ。抜群の安定感石坂金田一、圧巻のフルムーン高峰三枝子さま、ヒロインを演じた島田陽子も、後年の迷走が信じられないくらいにこの頃は輝きを放っておられる。旅館の女中役の坂口良子もコミカルで可愛らしいし、ちょっぴりやさぐれ風な犬神三姉妹の三女・梅子を演じる、草笛光子さまの自然な演技も、個人的には気に入りだ。

それにしても・・・
田舎の名門旧家で事件発生、泣く子も黙るドロドロ人物相関図、犯人は奥様、いつも後手後手に立ち回る名(?)探偵・金田一・・・とたいがいパターンは決まっているのに、このシリーズについついこうも魅かれるのはなぜかしら?愛すべき作品群である。

(#6「犬神家の一族」(横溝正史)finish reading: 2018/2/8)

「楽園のカンヴァス」原田マハ

ずいぶん前に友人から薦められていた作品だったが、ようやっとこのたび読んだ。

ほぼ一気読みであった。すこぶるおもしろい。どうすればこんなストーリーが思いつくのか。その並外れた発想力と圧倒的な筆力に、”舌を巻く”とか”脱帽する”とか、その手の言葉をあらんかぎりひっぱりだしてきて賞賛したいぐらいの気持ちになる。

物語は、フランスの画家、アンリ・ルソーとその絵画をめぐるアート・ミステリーである。 ストーリーのカギとなるのがこの絵

f:id:didoodah:20180130234802j:plainBy Henri Rousseau - The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH., Public Domain, Link

ルソー晩年の傑作「夢(Le Rêve)」である。極彩色に彩られたエキゾチックな画風と、どことなく謎めいた構図が、何か忘れがたい印象を残す作品だ。

物語には、この「夢」にまるでそっくりだという「夢をみた」という絵が登場し、その絵の存在を全く知らずにいた、ルソー通の二人の美術家(物語の主人公)を心底驚かせることになる。無論、「夢」が実在の作品であるのに対し、「夢をみた」はあくまで物語上の架空の作品なのだけれども、そのみごとなまでの夢と現実の世界の融合ぶりに、読んでいるうちにどこからが創作で、どこからがそうでないのかよくわからなくなってきて、ひょっとしたら「夢をみた」は本当にどこかにあるんじゃないだろうかという気さえしてくるから不思議である。

アンリ・ルソーという画家が、一部の理解者を除いて生前は全く評価されず、それどころか幼児並みの絵を描くへっぽこ画家として、世間からは物笑いの対象だったという史実があったことは、今回、この小説を通して初めて知った。さすがにヘタとまでは思ったことはないが、同時代のマネ、モネ、ルノワールといった画家たちの絵画に並ぶと、もちろん流派の違いなどはあると思うが、たしかに、イラスト的というか、一風毛色の変わった絵を描く画家だと印象は以前からあった。しかしそのことが却って強いインパクトを残し、絵画にさしたる知識を持ち合わせていない私でも、この画家の名前とその作品のいくつかを、なんとなくでも頭の片隅に置き続けてこられた所以になっていたように思う。

「夢」はもちろん素晴らしい作品であるのだが、個人的にはルソーの作品といえば、真っ先に思い出すのがこの絵である。

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Henri Rousseau La Noce(1905),Public Domain, via パブリックドメインQ

アンリ・ルソー「田舎の結婚式(La Noce)」

昔、留学の真似事のようなことをして、パリの語学学校に短期間通ったことがあったのだが、兄とか妹とか、フランス語での「家族」の呼び方を学ぶ段になったとき、その教材として使われたのがこの絵だった。なんだか「結婚式」にしてはずいぶん寂しい色使いの、ちっともおめでたい感じのしない不思議な絵だと思った。しかしそんなことより、家族の呼び方を学ぶための教材にするなら、それもビギナーに教えるのに、他にもっと明快でわかりやすい絵図がありそうなものだが、なにゆえあのときの先生はあえてこの絵を選んだのだろう。そういえばなんとなくフランスの美大生といった雰囲気の若い女性の先生だったが、いかにもフランス人らしい、そのシュールなセンスに当時思わずクスリと笑ってしまった記憶がある。どんな授業が行われたかは残念ながらすっかり忘れてしまったが、ルソーの絵にまつわるごくごく個人的な懐かしい思い出だ。

この本を読んだついでに、ひさびさにルソーの絵の世界に触れてみた。改めて見てみると、とてもユニークな絵が多い。もはやどう見てもおじさんにしかみえない、少女を描いた絵もある。見ている方は思わず笑ってしまうが、当の本人は笑わせるつもりなど全くなく、ただただ愚直に絵を描き続けていたように思える。その生真面目さとか、子どものような純粋さが「おじさん少女」の絵に限らず、どの絵からも伝わってくる。いくら人に笑われようと、蔑まれようとも、自らの画法を貫き通し、死が訪れる間際まで、絵を描くことに情熱を注ぎ続けた孤高の画家。この物語から見えてくるアンリ・ルソーという人間は、もし「その時」が来たら、瞬く間に天使たちが迎えにやってきて、あっという間に天に昇っていきそうな類の人物である。とにかくピュアなんである。この作品は、そんなアンリ・ルソーという画家に魅せられた二人の美術家の、ただの謎解きにとどまらない、極上の人間ドラマにも仕上がっている。決して多くは語られず、読み手の想像に任せられているところも多くある。しかしそこは、さしずめ「読む絵画」といった趣きで心地よい。

原田マハ氏の作品を読んだのは、これが2作目である。最初に読んだのは「カフーを待ちわびて」という、沖縄の離島を舞台にした物語だった。ハートウォーミングな素敵な物語で、これはこれでとても好きな作品になったが、今回初めて「美術もの」を読んでみて、すっかりそのおもしろさのとりこになってしまった。さすが元キュレーター。これぞ真骨頂という感じである。引き続き、原田氏の作品を「美術もの」を中心に、追いかけていきたいと思っている。

(#5「楽園のカンヴァス」(原田マハ)finish reading: 2018/1/28)

「鬼龍院花子の生涯」宮尾登美子

前回の読書から、だいぶ時間が経ってしまった。

さて、新年一発目に選んでみた本は、宮尾登美子の小説「鬼龍院花子の生涯」である。
夏目雅子主演で有名になった映画の方は見ていて、原作を読むのはこれが初めてだったが、映画の方のストーリーはだいぶ脚色が施されていて、やはり映画向きに簡潔かつ美化された仕上がりになっていたのだということがわかり、個人的にはわりと目からウロコだった。

土佐の侠客・鬼龍院政五郎(通称:鬼政)とその一族の盛衰を描いたこの物語は、12歳でこの極道一家のもとへ養子に出された、松恵という女性が主人公兼語り手となって進んでいく。映画の中で夏目雅子が演じていた人物である。一方で、表題にその名を冠し、当然主役だろうとばかり思っていた鬼龍院花子の役には名も知らぬ女優が充てられ、セリフも出番もほどんとないかなりの脇役だったのはなかなかの衝撃だったが、映画ほどではないものの、原作でもやはり花子は脇役である。しかし、物語が進んでいくうちに、この地味で、一見目立たない「花子」という存在こそが、この物語になくてはならない象徴的役割を担っていることが見えてくる。

鬼龍院花子は鬼政の実子。松恵が鬼龍院の家に養子に入ってまもなく、鬼政と若い妾の間に生まれる。50(歳)を手前に思いがけなく授かった娘を、父親である鬼政はさんざっぱら甘やかし、母親は母親で、基本的な作法の一つすら教え込めず、結果、花子は、母親以上に生活力も自発力もまるでない、自堕落な女性に育ってしまう。それは例えば、着汚した衣服や下着は「洗う」ということも知らないほどの有様で、今風にいえば、花子の人となりは「汚部屋に住まう汚ギャル」のまさにそれだ。

花子は、鬼政が最も羽振りの良かった頃に生まれている。しかし、花子の誕生に前後して、鬼政を取り巻く環境は、家の内外を問わず、なんとなく潮目が変わったかのように様々な変化が生じるようになり、以降、鬼龍院の家は、ゆっくりとだが衰退の方向に舵をとってゆく。跡継ぎの誕生どころか、鬼政一家の終わりの始まりである。鬼政全盛期の「蝶よ花よ」の少女時代がウソのように、鬼政亡き後の花子の半生は悲惨を極める。中年期にしてようやく鬼政一族の呪縛を解かれ、静かな暮らしを手にいれた松恵のもとに、遠くに嫁いでいるはずの花子が、子連れでひょっこり出戻ってくるくだりなどはちょっとしたホラーである。その花子の哀れでみじめな生き方は、もはや自業自得というより、「鬼政の娘」としてこの世に生を受けてしまったがために、否応なしに背負わされた、業ともいうべき人生であったかのように見える。花子の一生は、鬼政一家の光と影そのもの、ひいてはやくざ社会の表と裏をそのまま描き出しているかのようだ。

宮尾登美子さんの小説ははじめて読んだが、講談を聴いているような、リズム感のある美麗な文体が印象的だ。加えて、ボキャブラリーの多さがものすごい。「見過ぎ世過ぎ」とか、初めて知った。

結局、今月読んだ本は今のところまだこの一冊だけで、今年はかなりのスロースペース。無心に本を読める時間を見つけるのは、なかなか難しいものだ。

(#4「鬼龍院花子の生涯」(宮尾登美子)finish reading: 2018/1/21)

免許の更新に行ってきた

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自動車の免許更新の時期がまたやってきた。
前回からもう5年だ。早い。悲しいかな、5年という年月のスパンが年々短く感じられる。

今年の冬はなんだかひどく寒いのと、警察署という不慣れな場所へ行くことへの緊張とで、なかなか足が向かない。しかしそう悠長に構えていられることでもないので、今日、重たい腰をあげてようやく手続きへ。

いざ行ってみれば、拍子抜けするほど簡単に手続きが済むことなのだが、5年のうちについそのことを忘れ、「前回どんな感じだったっけ?」と、毎回軽い緊張にうち震えてしまう。そこで、今回は自分への備忘録も兼ね、今日の更新手続きのことを日記に記しておくことにした。

午前9時すぎ、指定のT警察署へ到着。警察署に入る前に、証紙の購入と、顔写真を撮ってもらうため、まず、同じ敷地内にある、交通安全協会の方へ向かった。

朝まだ早い時間だったせいか、他に待ち人もおらず、さっそく受付していただく。
親切な応対。更新連絡のはがきと免許証を提出し、顔写真は用意してこなかったので撮影をお願いしたい旨告げると「ありがとうございます」と、その言葉、待っとりましたという感じのリアクションであった。

続いて、交通安全協会への入会を促される。会費は1,500円。子どもたちの交通安全教室の運営費などに充てられているとのこと。「任意ですが、子どもたちのためによかったらぜひ・・・」と、どこか遠慮がちな声。断る人も多いのだろうか。「かまへんかまへん」と二つ返事で入会を承諾すると、心なしか応対はますますていねいに。

「協会に入会していただいたので」ということで、元々の金額は不明だが、写真の撮影費が会員価格で500円になった。免許証の写真に限らず、マイナンバーカードなどの他の証明写真の撮影サービスも行っているらしく「いつでも500円で撮影できますので、ぜひご利用ください」とのこと。地味に営業努力されておられるらしいことを実感する。更新手数料などと合わせて計5,000円を支払い、まずは顔写真の撮影。立ったまま、デジタルカメラでの撮影である。撮った写真は確認させてくれる。撮り直しも可能とのこと。

写真撮影が済むと、こんどは機械に4桁の暗証番号の入力作業。その後、しばし待機。どうやらこの間に、警察署へ提出する申請書類の作成を代行してくれていたようである。協会に入会したからかしら?とにかく面倒なのは苦手なので助かった。私の方でしたことといえば、健康状態の申告書類の作成のみ。それもレ点チェックと署名だけという非常に簡単なものだった。これで、交通安全協会内での手続きはひとまず終了。作成してもらった申請書類一式を受取り、いざ警察署へ。「中に入ったら、いちばん奥の免許事務の窓口へそのままお出しください」とのこと。

クリアファイルに入れてもらった書類一式を持ち、おそるおそる指定の窓口へ。威勢のよさそうな婦警さんが出てきたので一瞬ビビったが、案外ソフトな応対だったのでほっとする。住所や名前に間違いがないか確認を受けた後、さっそく視力検査。

検査はとりあえず裸眼で臨むようだ。コンタクトレンズをつけているかどうか確認された。年々、視力が悪くなってきているので緊張したが、念のため持参したメガネの力を借りずともなんとか無事クリア。

検査後、呼び出し用の番号札を受け取り、窓口のすぐ目の前に並んでいるイスに座って、警察の方の講義とDVDによる計30分間の講習を受けた。先客が一人いたが、まもなく窓口に呼ばれて立ち去っていったので、途中からはマンツーマン状態。講師の方も相手が私一人なので気がほぐれたのか、思いがけなくアットホームな講習に。

DVDを見ているところで30分間が経過したらしく、窓口に呼ばれる。先ほどの婦警さんが対応。新しい免許証の受取についての説明を受ける。即日交付署ではないので、後日窓口受取か郵送とのこと。郵送料は1000円。意外と高い。しかし諸事情により、今回は郵送を選択。免許証の裏面に「郵」のハンコをもらって、郵送手続きのため、再び交通安全協会へ。(警察署内での手続きはこれで終了だった)

交通安全協会の窓口にて、郵送の手続き。「郵」のハンコ入りの免許証を提示し、代金を払うと、専用の封筒をくれる。封筒に送り先を記入して再び窓口へ。控えを受け取って、今日のすべての手続きが終了した。新しい免許証は、約2週間後に手もとに届くらしい。

所用時間約45分ほど。意外にスムーズに終わった。手続きが終わったらほっとしたせいか急激におなかがすいてきて、警察署近くにある大型スーパーに飛び込み、太巻きとおいなりさんを購入。そういえば、このスーパーも、前回の更新時はまだ建っていなかったように思う。あっという間にすぎるようだが、やはりいろいろな物事が移り変わっていくには十分な5年という歳月の重みを噛みしめつつ自宅に戻り、買ってきたお寿司で遅めの朝食。

免許の更新ももう何回目になるだろう。もう何度となく経験しているのに、時期がめぐってくるたびに毎回緊張し、終わるたびに毎回大役を果たした気分になるから不思議である。

お題「今日の出来事」


貴乃花親方のネクタイ

最近、目からウロコだったのは、貴乃花親方のネクタイである。

年の瀬も押し迫ったある日のテレビに映し出された貴乃花親方は、グレーのスーツに薄いブルーのシャツ、紺色のネクタイという出で立ちで、「あら、今日のコーディネートはなかなかステキじゃん」と思って眺めてたのだが、よく見ると、どういうわけだかネクタイがぐにゃりと曲がって浮いている。たしか、理事会に出かけようとしているところの親方の様子を撮った映像だったと思う。中に着こんでいるもののせいで、ネクタイがずり上がってしまったのかしらんという感じだったので、そのうち気づいて理事会に臨む前までには直すんだろうぐらいに思ってたのだが、理事会の会場で椅子に座り、厳しい顔つきで会議の開催を待つ親方のネクタイは、やっぱりぐにゃりと浮いたままだった。その日の理事会は、今回の騒動に関する貴乃花親方の処分が話し合われる会議だとかいうことだったので、然しものポーカーフェイスの貴乃花親方もやはり心中穏やかではなく、ネクタイまで気がまわらなかったのかしらとハラハラしながらニュースを見てたのだが、とんだ勘違いだった。あの親方のネクタイは乱れてるのではなく、ネクタイを浮かして立体的に見せるという、れっきとしたおしゃれなのらしい。しかも、上級者向けのおしゃれテクなんだそうだ。そう言われてみて改めて確認してみると、別な日の理事会のときも、空港でマスコミの攻勢をガン無視しながら車待ちしているときも、たしかに、貴乃花親方のネクタイは、いつもくねっと曲がったり、ちょっと浮いたりしている。知らなかった。まさか相撲界のてんやわんやの話題から、ファッションの豆知識を学ぶことになろうとは。正直、何やら本筋とはズレた方向に過熱する一方の報道にいいかげんうんざりしていたところだったが、まあ何でも選り好みせず、見たり聞いたりしておけば良いこともあるものだ。

しかしそうはいっても、貴乃花親方のネクタイ、どうひいき目に見ても、おしゃれというよりは、ぶきっちょに曲がっているようにしか見えない。それはもうまるで、今回の相撲界大騒動における、彼のふるまいをそのまま具現しているかのようだ。私は貴乃花親方と同世代である。現役時代の彼は、それはもう、我々世代にとってみれば誇りともいうべき、文句なしのスーパーヒーローであった。強さと品格と華を兼ね備えた、あれほど素晴らしい横綱もそうは現れまい。記録更新にばかり躍起になっているどこぞの横綱とは、悪いが、品も格も全然違うのである。しかし、土俵で見せる輝かしいまでの雄々しい姿とは裏腹に、貴乃花は、土俵の外ではたいがいの場合においてどうしようもなくぶきっちょであった。特に、宮沢りえちゃんとのすったもんだの果てに見せた「これぞぶきっちょの極み」ともいうべき言動は、今でも強烈に記憶に残る。「そこまで自分ひとり悪者にならんでも」と見ていて悲しくなったものだ。しかしその不器用さこそが貴乃花の魅力だったのであり、年を重ねて少しは丸くなるのかと思えば、ますます拍車がかかって、単なるぶきっちょを通り越し、もはや不気味の域に達している。こうなったらもうこの異様なまでのぶきっちょさこそを、最大の武器にしない手はないような思いさえしてくるのである。

今、貴乃花親方が戦っているものは、とてつもなく手強いものであるようだ。誰もが腰が引けて触れたがらないところに、孤高の戦士のごとく、果敢に立ち向かおうとしているのが伝わってくる。あえなく跳ね返されるのかもしれない。でも、風穴を開けられるのはやっぱり貴乃花しかいないような気もするのである。その姿はまさに、土俵の上で並み居る強敵を相手につねに真っ向勝負で挑み、ボロボロになるまで戦った現役時代の雄姿を思い起こさせる。「もうちょっとうまく立ち回れないもんかね」とため息をつきながらも、イケてるのかそうでないのかよくわからないファッションがどうにもこうにも気になっても、その愚直なまでの真っすぐさを、やっぱりなんだか応援したくなってしまうのだ。

さて、いよいよ初場所の幕明けだ。