消灯時間です

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今日のアドリブ 気ままに書きます

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「海と毒薬」遠藤周作

14,5歳ぐらいのころに一度読んだ本だが、話の内容は初読といっていいぐらいほとんど忘れてしまっていた。ただ、序章で、登場人物の「私」が、肺気胸の治療を受けるシーンだけはよく憶えていて、ああそういえばこの本で「気胸」という病気のこと知ったのだったと思い出した。
この本は私が中学生だったころ、たしか読書感想文の課題図書のひとつだった。自分がこの本を読んだのもそれがきっかけだったような気がするのだが、今読み返してみると、その年頃の子どもが読むにしては意外と大人っぽい内容の話だったのだなと感じた。特に、登場人物の一人である上田という看護婦の独白のくだりなどは、女の性(さが)みたいなものがわりと生々しく描かれていて、思春期だった私がこれをどんなふうに受け止めていたんだろうとふと思い出してみたくなったりもしたが、自分のことなのに何一つ憶えていないところからすると、特にピンともこないまま、ただずらずらと字面を追っていたんだろう。幼かったと思う。
そんなこんなで、ひょんな思いつきからうん十年ぶりに再び手にとった「海と毒薬」だったが、いい歳になった今改めて読んでみたら、思っていた以上によかった。

戦時中、アメリカ人捕虜の生体解剖実験にかかわった医大関係者たちのはなし。
健康な人間を生きたまま解剖するというおぞましい行為に、人間性の良し悪しは別として、どこの社会にでもいそうないたって普通の人々が次々に加担してゆく。その動機やきっかけは様々だ。
直前に昇進をふいにする大失態をおかし、このオペを名誉挽回の好機ととらえてメスを握る教授、オペそのものはどうでもよいが、ただ、ある人に対する嫉妬や憎しみの感情の延長線上で自らの復讐心を満足させたいがために参加を決める看護婦、生来罪悪感を持ち合わせないことを自覚していて、果たして自分には本当に良心というものがないのかどうか再確認するべく積極的に実験に参加する、いわゆるちょっとサイコパスチックな医大生と、反対に、ぎりぎりまで逡巡しながらも、自分のおかれた境遇や周りの空気に抗えず、結局はただ流されるままにオペに加っていくもう一人の医大生などなど…。戦時下で誰もが正常な思考を持てる時世ではなかったという特異な状況が背景にはあるけれど、はからずも非人道的な行為に手を染めることになった彼らの言動や心理描写を通して、日本人特有の罪の意識の問題とか、良心とは何かという問題が描き出されていく。特定の宗教を持たない日本人は、キリスト教の精神に基づいた倫理観を持つ西洋人に比べ罪の意識が低いのだという。それじゃあなんで西洋人は日本に原爆とか落としたのよなどと、私なんかは思ってしまうが、そうなると今度は、宗教のこととか罪の意識とかの問題の他に、見た目が自分と異なる人間に抱いてしまうある種特異な感情(いわゆる差別的なこと)の問題なんかも関わってきそうな気がして、私のキャパではどうにもこうにも文章がまとめきれなくなりそうなので、とりあえずこの場ではこのへんまでにしておくとして・・・。でもそのへんのこともこの物語では登場人物のささいな言動や心理描写から見え隠れする感じで興味深かった。いずれにしても、日本人と西洋人の間にある埋められない深い溝問題的なことを終生追いかけ続けた狐狸庵先生の本を、これを機にもうちょっといろいろ読み込んでみることにしようと思う。

薄い本なのにひどく読みごたえがある。特にそれぞれの登場人物のキャラの立ちっぷりがすごかった。物語全体に一貫して漂うブルーグレイの曇り空のような陰うつな空気感も映像的でなんとも良いし、読後はふた昔以上前の、いしだあゆみとかが出てきそうな感じの、良質な大人のドラマを一本見終わったような気になる本だった。

(#16「海と毒薬」(遠藤周作)finish reading 2018/8/28 )