消灯時間です

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ほぼ東海道を歩く旅③【川崎~東戸塚】

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前日、ゴルフに「川崎ー品川」間のロングウォーキングと、Wヘッダーをこなしたにもかかわらず、この日も朝から元気な夫。一方、私はといえば、前日の徒歩旅の終盤から右足の甲に軽い痛みが。しかし、患部を冷やしてみたら一晩でだいぶ具合が良くなっていたので、念のためテーピングで足をぐるぐる巻きにして、予定どおりこの日もウォーキングに挑むことにした。我ながら足が力士のようだ・・・。

旅人:俺様(夫)
同行&記録係:私

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午前10時、川崎駅前を出発。ピーカンのお天気にくわえ、寒さも和らいで、絶好のウォーキング日和である。私の右足も今のところ問題なさそう。さて、旅のはじまりだ。

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それにしても川﨑は、いつの間にこんなディズニーシーみたいなおしゃれな街になっていたのだ?

と、思ったのも束の間。このあと道を誤り、プチドヤ街のような場所に足を踏み入れてしまい少々あせるも・・・

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なんとか無事、旧東海道にたどりつく。
緊張の一画を抜け切ったところに現れた、どうだ!とばかりのデカ字の旧東海道の碑。

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ここから鶴見方面へはひたすらまっすぐの一本道。住宅街とも商店街ともつかないような閑静な通りが続く。昔は田んぼの中のまっすぐ道だったようだが、今はその面影はない。沿道には、無縁塚市場一里塚などの史跡がある。ちなみに無縁塚は、文字通り、無縁仏様のためのお墓。道路工事などの際に江戸時代の頃のものと思われる人骨が同地から多数出土したため、その供養にと、昭和になってから建てられたものらしい。宿場で病気や天災などで亡くなった身元不明の人々を埋葬していた場所だったようだ。

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1キロ弱ほど歩いたところで、鶴見橋が見えてきた。

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橋を渡ると、街の雰囲気が少し華やいでくる。

ここから、鶴見駅方面へと歩を進め、駅前の繁華街を通り、一路、生麦方面へと向かう。途中、見慣れない電車が頭上の古めかしい鉄橋の上に止まっていた。鶴見線という路線らしい。川﨑、横浜という大都市にはおよそ似つかわしくない3両編成のローカル風な電車で、ちょっと興味をそそられた。あとで調べたら、そこは国道駅という場所だったようで、太平洋戦争時の機銃掃射の弾痕が今もなお残る有名な場所だったらしい。どうりでそこだけ時代が違うような独特な雰囲気がすると思った。それにしても、前日の鈴ヶ森刑場といい、先刻通過してきた無縁塚といい、旧街道沿いというのは、何かこう血なまぐさいというか、悲しい歴史の爪痕みたいなものが多い。

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血なまぐさいといえば、こちらも。かの有名な生麦事件の発生現場。目印となる案内板が、生麦地区の旧東海道沿いにある普通のお宅の前にひっそり掲げられている。なんでも、偶発的行為とはいえ、島津のお殿様の行列を横切ってしまって不運にも「切り捨てご免」されてしまった英国人商人は、ここでばっさり薩摩藩士に斬られたのち、瀕死の状態で数百メートルは逃げ果せるも、力尽きたところを追手のとどめの一撃(介錯だったらしいが)を受けついに絶命。その落命現場にも追悼碑(生麦事件碑)が建てられているとのことだが、同じ麦は麦でも私たちの目指す麦は・・・

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こっちの麦なの。ごめんなさい。
鶴見の生麦といえば、キリンビール横浜工場
(ちなみに生麦事件碑は、このキリンビール横浜工場のすぐそばにある)

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今回は敷地内のレストラン「スプリングバレーブルワリー」へおジャマし、

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渇いたノドをさっそく潤し(このおつまみがすこぶるおいしかった)

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がっつり食べ

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ほろ酔い気分で、ビールの歴史なんぞにもちょっと触れ

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午後12時20分、再び道に戻る。第一京浜横浜駅方面に向かう。
歩道が広く、とても歩きやすい。

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午後1時すぎ、ようやく横浜の都心部が見えてきた。
しかし、この後まもなく、痛恨のミスをおかす。

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日本橋を出発して以来、国道15号(第一京浜)に国道1号(第二京浜)、はたまた旧東海道と、意外に複雑なことになっていた東海道はようやくここ横浜の青木通交差点で、第一京浜第二京浜が合流し、国道1号(東海道)となって、さらに西へ延びてゆく。東京方面から歩いてきた場合、現代の東海道である国道1号を行くにはこの青木通り交差点を左に折れていけばいいのだが、昔ながらの旧東海道に入るためには、反対の右方向に進み、青木橋という橋を渡って、その先の青木橋交差点まで進むことになる。ここまではよかったのだが・・・

この青木橋交差点というのは交通量も多く、規模的にもかなり広い交差点なのだが、ここでまさかの離れ業のような信号無視をやってのけ、矢のように道路を駆け抜けていった見知らぬじいさまに驚愕し、呆気にとられているうちに・・・

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道、間違える。旧東海道に入り損ね、

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この絵の光景の現在(いま)をみすみす見逃すという失態をおかす。

結局、青木橋界隈にとどまらず、保土ヶ谷宿の手前辺り(天王町駅付近)まで、それとは気づかず、旧東海道の一本隣りの別な道を歩いていたことがのちに判明(汗)
細かいことにはこだわらないつもりだったが、おりょうさん(坂本龍馬の奥さま)が働いていたという料亭も見ていないし、なんだかもったいないよねということになり、この区間はまた機会をみて、歩き直しに行くことにした。

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さて気を取り直して保土ヶ谷宿界隈です。(知らぬ間に軌道修正していたらしい)
助郷会所って何だろうと思ったら、繁忙期などで宿場内だけでは人手や馬がまかないきれなくなったときに、周辺の村々から臨時雇いの助っ人(助郷)を召集する業務を担っていた役所的なところだったとか。でも、助郷は今でいうブラック仕事だったようで、皆が敬遠する任務だったらしい。いつの時代もそんな仕事はあるのね。

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そういえば保土ヶ谷では、随所でこんな道標を見かけた。
とても便利だ。

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保土ヶ谷宿界隈を離れ、しばらく行くと、いよいよ箱根駅伝でも有名な東海道の難所「権太坂」が、満を持しての登場である。

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じゃじゃーん、権太坂です。長っ!

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全然終わんね。

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ちなみに箱根駅伝で走るのは国道1号の権太坂で、こちらは旧道。いわゆる”本物”の権太坂である。江戸の旅人たちにとってもかなりの難所だったようで、この坂で力尽き、亡くなる人も多かったようだ。そういったこの坂で行き倒れになった人々や動物の遺骸を埋葬していたと思われる場所に、現在は供養塔(「投げ込み塚」)が建てられているらしいのだが、ネーミングとその建立までのいきさつが私どもにはちょっと重すぎて、今回は立ち寄っていない。

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権太坂を上りきると、いよいよ戸塚区に入る。

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しぶい道標

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権太坂を上ってきたばかりなのにまた坂!坂の街・横浜の洗礼を浴び続ける。
しかし「やきもち坂」とは、ひらがなにするとなんだかかわいい。

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これが焼餅坂。戸塚方面に向かう場合は下りになるので、ちょっとホッとする。
下る分にはそこまで急な感じはしなかったが、反対側から上ってきた自転車の少年が、思い切り立ちこぎで駆け抜けていったので、やはりそこそこしんどい坂なんだろう。

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焼餅坂を下り切り、しばらく歩いてきたところに、再び時代劇のセットようなしぶい道しるべ。ここは・・・

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品濃一里塚(東戸塚)なのでした。午後3時10分到着。戸塚の宿場町はまだまだ先だが、この日の東海道の旅はひとまずここで終了。20キロ近くにもおよぶ長丁場だった。
私の右足はやはり終盤近くで足の甲の痛みが再発。何といえばよいのか、打ち身に似た痛みである。くわえてふくらはぎの筋肉にも少し痛みが出はじめていたが、なんとか歩き切った。さすがの俺様もひざの裏が少し痛むという。

このあと東海道を離れた私たちは、一路、俺様の実家へ。

東海道歩きに挑戦中なことを伝えると、驚き、がぜん盛り上がる旅好きの両親。
東海道といえば、私たちもあっち歩いたこっち歩いたと、出るわ出るわ旅のエピソードから資料から・・・。ちょっとした観光案内所である。青木橋から東海道ではない道を歩いていたことも母の話から判明。最初からここへ来て、教示にあずかるべきだった。

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うれしいことに両親からは広重の東海道五拾三次の図録までいただき、感謝感激。
これからはこれで少し事前勉強しておかなくては。

連休を利用し、二日間で川﨑ー東戸塚の約32キロを歩き切った俺様とお伴の私。
次回は、東戸塚から旅を再開。俺様の計画では一気に平塚あたりまで行くことも考えているようだが、どうなりますことやら。再び俺様の都合と、私の足の回復を待って実施の予定である。

【今回の旅のメモ】
〇ルート:川﨑(神奈川)~東戸塚(神奈川)
〇実施日:2018年2月中旬(天気:快晴 気温14℃)
〇歩行距離:約20キロ
〇所用時間:約5時間10分(休憩含む)
〇HP消耗度:★★★☆☆(そこそこ燃焼級)
〇使ったお金3,500円/人ぐらい(食事代+交通費+その他)

〇感じたこと
東海道も神奈川に入れば、がぜん旅気分が増す感じです。目玉的なみどころも多く、東海道の旅(京上り)序盤における、まさにハイライト的ルートであるといえましょう。随所に旧東海道関連の案内板があり、自治体先導でかなり観光に力を入れているらしいことを感じました。いかんせん、旧東海道は、単独の道かと思えば部分部分で幹線道路と重複したりと複雑に入り組み、相変わらずトラップ 感満載。昔の街道をスムーズに歩くには、ナビアプリに頼るだけでなく、事前に地図や資料を準備し、ある程度下調べをしておくことが重要だと、今回道を誤ったことでひしひしと痛感させられました。

〇きょうの教訓:「事前の下調べが肝心だ」