消灯時間です

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今日のアドリブ 気ままに書きます

「放送禁止歌」森 達也



おもしろおかしく読める本かと思っていたら、いたってまじめなドキュメンタリーだった。かつて放送禁止歌を検証するドキュメンタリー番組を作った筆者(TVマンらしい)が、その番組制作時を振り返る回顧録的な内容になっている。番組を作っていく過程で直面した様々な問題や、その時々の筆者の心の葛藤などが書かれていた。

自分も常々、放送禁止の曲というのはいつどこでだれが決めたものなのだろう思っていたが、この本によると「放送禁止歌」というのは厳密に言えば「ない」のだそうだ。「放送禁止歌」というのは正確には「要注意歌謡曲」といって、昭和30年代に放送業界の中で作られた「要注意歌謡曲指定制度」(1983年廃止)というシステムのもとに決められたものらしい。内容が反体制的、歌詞に差別語がつかわれている、など様々な理由から放送するに適さないとされた曲が次々と「要注意」の指定を受けていったようだ。要注意楽曲は一覧にされて各局に通知されていたらしく、これは本にもその一覧表が載っている。見ると、要注意の指定を受けた曲が50音順にずらりと並び、それぞれA、B,Cの3段階で注意度のランク付けがしてある。Aに近いほど注意度が高い。というか、Aの曲はもはや「放送しない」とばっさり断じられている。なかなか厳しい。しかしこのAランク曲の中に、まさかの原坊(原由子)の名前を見つけて驚いた。なんでも記念すべきソロデビュー曲(I Love You はひとりごと)がセクシーすぎる歌詞がネックになっていきなり放送禁止になるという憂き目に遭っていたらしい。知らなかった。意外なところでは注意度は低いながら、ピンクレディの「S.O.S」なんかもリストに載っている。歌詞を思い返してもいったいどこが?と不思議だったが、この曲はイントロで効果音として使われたSOSのモールス信号音が、本物と混同する恐れがあるからということでNGだったらしい。そんなことあるのかな。なんだかとってつけたような理由だ。

しかしどうやらこの「要注意歌謡曲指定制度」、制度そのものには何の強制力もなく、あくまで指針的に存在したもので、最終的にその曲を放送するかどうかの判断は各放送局に任されていたらしい。しかし、放送することに因る様々なリスクを恐れた放送の現場は、触らぬ神に祟りなし的発想で右ならえ的にどんどん自粛モードに走ってしまい、結果、多くの歌を日陰に埋もらせることに繋がってしまったようだ。けっきょく「放送禁止歌」というのは、メディアの過剰な自主規制が生みだしてしまったものなのだと筆者は言いたいらしかった。今流行りの「忖度」という言葉が頭をよぎる。しかし忖度の陰では必ず泣く人が出るものだ。この場合は歌を発表したアーティストたちがそうだ。放送禁止や発売禁止になるということは言ってみれば自分の作品を全否定されたようなものだから、表現者としてはたまらない屈辱だし悲しみだろう。中にはデビュー時から「放送禁止歌手」のレッテルを貼られ、出す曲出す曲放送禁止にされて結局鳴かず飛ばずのまま一線を去っていく人もいたようだ。筆者はそういう人たちにも果敢にコンタクトを試みる。しかし彼らの態度は一様に頑なだ。中には完全になしのつぶての人もいる。取材の苦労がうかがえた。

ひとくちに放送禁止の歌といっても様々なタイプのものがあるようだが、この本では主に「竹田の子守唄」や、岡林信康の「手紙」といった人権問題に触れた内容の歌が大きく取り上げられている。驚くのはこの2曲とも、要注意歌謡曲一覧には名前が見当たらないということだ。著作権だとか様々な権利問題は別にしても、「放送禁止歌」というものがいかに曖昧な基準のもとに成り立っていたかがわかる気がする。

いずれにしても、まさかこんな真面目な本だとは思わなかったので、おっかなびっくり読んでしまったところで、まだまだ読み砕けていないところも多い。時を置いてまた読み直してみたいと思った。蛇足ながら、この本でもうひとつおもしろかったのは、筆者とデーブ・スペクターとの対談が収録されていることだった。しかし、こんな真面目な本にも関わらず、デーブのジョークは体調が良いときに相手できるが、そうでないときにはちょっとキツイ、デーブのジョークは自分のバイオリズムのバロメーターと、こんなところでもさりげなくdisられるかわいそうなデーブ。でもいざ真面目な対談モードに入ると、かなりのキレモノぶりを発揮する。こんな意外な一面を見せられると、デーブは実は名うてのスパイ、川越生まれという噂も噂ではないのかもしれないと改めて思うのだった。こんなちゃんとした本をこんなふざけた読み方しかできない私もどうかと反省だが。

(#11「放送禁止歌」(森 達也)finish reading: 2018/5/22)