消灯時間です

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鍋コーヒー

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photo@Pixabay

学生の頃、お湯をさすだけではどうにもこうにもうすら酸っぱくてあまりおいしくないインスタントコーヒーを、どうにかおいしく飲める方法はないものかと試行錯誤を重ねてみたことがあった。結果行きついたのが「鍋で煮出す」という方法だった。小鍋にインスタントコーヒーの粉適量と少量の水を入れ、まずはぐらぐらと泡立つぐらいまで煮る。すると、とてもインスタントとは思えない香ばしい香りが立ってくるので、あまり煮詰めすぎないところで頃合いを見はからい、いったん火を止める。そしたら今度はそこに牛乳を入れ、再び火にかける。つまりはカフェオレにしてしまうというわけだ。牛乳を入れてからの温め加減は好みだが、私は濃いめの味が好きなので、たいがい表面にミルクの膜が張るぐらいまでガンガン火にかけていた。そうするとなんとなくとろみがかったような、濃厚なカフェオレが出来上がるのである。

「まるでパリやんけ」と当初は自分だけで悦に浸っていたのだが、試しに家に来る友人たちにもふるまってみたところ、これが意外と好評で、ある友人に「鍋コーヒー」と命名され、求められるまま、一時は喫茶店状態に「鍋コーヒー」を作りまくっていた。泊まりがけで遊びに来た友人たちに、真夜中に「ねえねえ」と寝ているところを揺り起こされて作ったこともあった。私はなにしろ寝ぼけているから、あまり事細かなことまでは憶えていないのだが、友人の証言するところによると、熟睡中をジャマされたにもかかわらず私は、特に機嫌を損ねるふうでもなく、「ハイわかりました」とすくっと立ち上がってキッチンへ行き(私は寝ぼけていると敬語になるらしい)、終始無言のまま手慣れた手つきで「鍋コーヒー」を作り、カップをテーブルまで運び終えると、「それではおやすみなさい」と一言発し、さっさと寝床に戻っていったそうだ。まるで夢遊病である。このときのエピソードは結婚式の際、友人にスピーチで披露されてしまい、ちょっと照れくさいものがあった。

インスタントコーヒーがまるでひと手間かけなければおいしくないもののような書き方をしてしまったが、クリーミングパウダーたっぷりの甘いインスタントコーヒーが実はノスタルジックな思い出の味であったりする。黒ラベルネスカフェのインスタントコーヒー、黄色いラベルのクリープ、赤い箱に入ったカップ印の角砂糖の三点セットがある風景は、私の昭和の原風景の一つだ。私の実家は自営の仕事をしていて、私が幼い頃は自宅と棟続きのところに小さな事務所があったのだが、そこに従業員の休憩用にこの三点セットが置いてあった。今思えばずいぶん迷惑な子どもだったと思うが、アクセスの良さをいいことに、私は営業時間もお構いなしにしょっちゅうこの事務所に出入りしては、事務のお姉さんが作ってくれる、クリープたっぷりの甘いミルクコーヒーをごちそうになっていた。思えばあのチープだけれどなんだかクセになる味わいが私のはじめてのコーヒー体験だったような気がする。

今はもっぱら豆から入れるコーヒーばかりで、インスタントコーヒーを飲む機会はめっきり減ってしまったが、ひさびさに「鍋コーヒー」で腕をふるってみようかと思う今日この頃である。


お題「コーヒー」