消灯時間です

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今日のアドリブ 気ままに書きます

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聞く力、気づく力

先日出向いたとあるイベントで、思いがけなく、侍ジャパン前監督の小久保裕紀さんの講演を拝聴することができた。「楽しいイベントの中、真面目な話で恐縮ですが、しばしおつきあいください」と謙遜なさっておられたが、いやいやなんの。あんなに話の上手な方だったとは。正直驚いた。プロ野球に関心がない人でもわかりやすいようにと、大谷(翔平)選手やイチローなど、一流選手のエピソードや、侍ジャパンを率いた時の裏話などをまじえながら、正味一時間、野球を通して学んだことをテーマにお話くださった。終始ウィットに富んだ楽しくタメになる話で、全く飽きなかった。

とても有意義な講演だったが、特に心に残った話が二つある。

まずは小久保さんとイチローとの逸話。

現役時代、小久保さんは、プロ二年目にしてあっさりタイトル(本塁打王)を獲ってしまったことですっかり天狗になり、慢心から練習もさぼりがちになった結果、翌年は全く打てなくなってしまったそうだ。そんな状態ではあったが、その年も人気投票でオールスター戦に選出。同じチームにはあのイチローがいた。当時オリックスの選手だったイチローは、三年連続の首位打者に向かって快進撃を続けていた。そんなイチローに、小久保さんは試合前の練習中、「自分は一度記録を達成してしまったら、成績は下がるし、やる気まで低下してしまった。イチローのそのモチベーションはいったいどこから来るんだ?」とたずねてみたのだという。すると、イチローは小久保さんをまじまじと見つめ「小久保さんは数字のために野球をやっているのですか?」と言ったそうだ。そして、「僕が野球をやっているのは数字のためではありません。ここにある石を磨くためです」と言って、胸のあたりに手を置き、こう続けたという。「僕のここ(心の中)に、石(原石)がある。僕は野球を通してその石を磨き、輝かせたい。そのために野球をやっているんです」と。小久保さんは「なんていう質問をしてしまったんだろう」とものすごく自分が恥ずかしかったそうだ。と同時に、イチローの言葉から「野球を通して人間力を磨く」ということに気づかされた小久保さんは、自分なりにやれることからやってみようと、以来、本を読むことを習慣づけるようにしたらしい。遠征先にも必ず本を持参し、少しの時間があれば、本をめくる…。その読書量たるや相当なものらしく、これは後でわかったことだが、小久保さんは、球界屈指の読書家として有名なのだそうだ。言葉の端々に哲学的なエッセンスが感じられたのは、なるほどそういうわけかと思った。それにしても、イチローの金言にはいつもながら驚かされるが、さもすれば生意気ともとられかねない年下の言葉に(イチローは小久保さんより二歳年下とのこと)素直に耳を傾け、そこから瞬時に「気づき」を得て、自らの軌道修正につなげていける小久保さんの意識の高さもこれまた素晴らしいと感じた。

二つ目は、侍ジャパンでのエピソード。

小久保さんは、日本代表監督になるにあたって、選手たちに「これだけは守ってほしい」という2つのルールをもうけたとのこと。野球人としての「心」を大切にしたいという、小久保さんの考えから生まれたルールの一つは「グラウンドでは必ず帽子をかぶること」そしてもう一つが「グラウンドにツバを吐かないこと」。野球選手のツバ吐き行為は、もともとは外国人選手特有の行動だったようだが、いつしか野球選手にとってはあたりまえの光景になっていて、小久保さんも現役時代、さして気に留めなかったそうだ。しかし、懇意にしている空手家の人に「なぜ野球選手はグラウンドにツバを吐くのか?我々が道場である畳にツバを吐くのと同じだ」と苦言を呈されたことで、意識を改めたのだそう。小久保さんは、代表選手を招集するたびに開く会合で、この二つの約束事を、毎回必ず選手たちに伝えたという。会合は五回行われたそうだが、選手にも動きがあるため、通しで参加する選手はなかなかいない。でも、一人だけ全ての回に参加した選手がいたそうだ。通しで参加できるということは、一度も代表選考からもれることがなかったということで、それだけ優秀な選手であることの証だし、小久保さんの提言を少なくとも五回は聞いているということだ。しかしその選手はWBC後の今年のリーグ開幕戦で、さっそくツバを吐いていたという。「二戦目でもうツバ吐きよりましたわ」と言って、小久保さんは会場をどっと沸かせていたが、人の理解を得ること、指導することの難しさを痛感した出来事だったと語っていた。

小久保さんは、「良い選手は素直さと頑固さを併せ持っている」とも言っていた。人に良いと言われたことはまずやってみる。やってみて自分に合わなければやめる。人の話に全く耳を貸さないのもよくないし、従順すぎるのもよくないと。もしかしたら、そのツバを吐いた選手も「監督の言う通りにしてはみたけれど、やっぱり自分はツバを吐く方が調子も上がるし、自分らしい」という思いに至ったのかもしれない。しかし残念ながら、WBCの疲れを最後まで引きずったのかもしれないが、今年、その選手の成績はあまり振るわなかったようだ。もちろん、ツバを吐く吐かないがそのまま成績に直結しているわけでもないだろうが、大きな試合を経験するごとに人間的にも磨きがかかっていく選手が多い中、WBC後に、数字云々とはまた別なところで、一皮むけたその選手の姿も見てみたかったように思う。小久保さんの話をいろいろ聞いていて、一流選手と、一流の技術を持ちながら、野球人としては一・五流で終わっていく選手の明確な違いが見えたような気がした。一流と呼ばれる選手は、どうやら聞く力、気づく力、そしてそれを実践していける力に長けているようだ。人には可能性がある。今年予想外の不振に見舞われたその選手も、まだまだ若い選手だ。彼も本当は心の奥底にはそれらの力を秘めているのかもしれない。ひいき球団の選手ではないけれど、今後の復活に期待したいと思う。

それにしても聴きごたえのある講演だった。こんな講演会なら、いつでも聴きに行きたい。